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浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)713号 判決

原告

望田義孝

外二名

右原告ら訴訟代理人

金綱正已

千葉憲雄

被告

医療法人泰仁会

右代表者理事

佐藤泰三

被告

佐藤政人

飯塚貞男

右被告ら訴訟代理人

丸山正次

福島武

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  申立

一  原告ら

1  被告らは各自、原告望田義孝に対し金一四一八万八四九九円、原告望田智紀、同望田恭子に対し各金八九二万六七三六円及び右各金員に対する昭和五一年八月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告望田義孝(以下「原告義孝」という。)は、亡望田恭美(以下「恭美」という。)の夫であり、原告望田智紀(以下「原告智紀」という。)は、右両名の長男、原告望田恭子(以下「原告恭子」という。)は、長女である。

被告医療法人泰仁会(以下「被告泰仁会」という。)は、肩書地において佐藤産婦人科病院(以下「佐藤病院」という。)を開設、経営している者であり、被告佐藤政人、同飯塚貞男は、昭和五一年八月当時いずれも被告泰仁会の被用者として佐藤病院に勤務していた医師であるが、被告飯塚は、当時日本大学医学部の助手であり、右病院には、いわゆるアルバイトとして勤務していたものである。〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二本件事故の発生に至る経緯

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

(一)  恭美(昭和一六年七月二四日生)は昭和四五年一〇月二七日原告義孝と婚姻し、昭和四七年五月二二日第一子として原告智紀を出産したが、右妊娠及び出産に際しては、特別異常はなかつた。

恭美は、昭和五一年初め頃妊娠に気づき、その頃から同年四月頃まで自宅近くの原田産婦人科医院で診察を受けたが、同年五月四日、佐藤病院に来院し、被告佐藤の診察を受け、妊娠七か月、出産予定日同年八月一六日と診断された。

恭美は、以後同病院に通院して定期的に診察を受けていたが、妊娠期間中は、下腿部に軽度の浮腫がみられた程度で、順調に推移した。

(二)(1)  同年八月一一日午後七時頃、自然陣痛発来により、恭美は、佐藤病院に入院したが、その頃陣痛は七、八分間隔であり、内診所見は、外子宮口は二指開大、胎胞軽度形成、胎児の先進部は頭部であり、胎児心音は正常で、少量の黄赤色分泌物もあつた。

翌一二日午前九時二五分頃、被告佐藤が診察したところ、外子宮口は三指半開大であつたが、陣痛が微弱であつたため、同被告は陣痛を増強するため、アトニン点滴を行なつた。その結果、陣痛が強まり、さらに同日午前一〇時三〇分頃には、外子宮口が四指半開大となつたため、恭美は分娩室に移された。

(2)  そして、同日午前一一時三分頃、被告佐藤により人工破膜が行なわれ、同二九分、恭美は、原告恭子を分娩した。その後、程なく、被告佐藤と交替に、被告飯塚が分娩立会のため分娩室に入つたところ、恭美の様子に特に異常は認められなかつたが、原告恭子は、全身蒼白で仮死状態であつたため、被告飯塚は、手当につとめ、七、八分後原告恭子は蘇生した。

(3)  そこで、被告飯塚は、看護婦に、原告恭子の臍帯の処置を指示したが、その直後である同日午前一一時三九分頃恭美に五八〇〇ml位の出血があり、同時に胎盤が娩出された。被告飯塚は、通常の出産の例にならつて恭美の子宮に手を入れ、子宮頸管部の裂傷の有無を確かめたところ、同部位には、裂傷その他特段の異常は認められなかつたが、子宮腟部の入口が五、六cm程切れていたため、右裂傷部位の縫合を行つた。

すると、右縫合終了直後、勢いよく出血したため、被告飯塚は不審に思つて、内診したところ、子宮右側部に裂傷を発見し、子宮から手を抜いたところ、再び出血した。そこで、同被告は、右出血が了宮破裂に基づくものと判断して、とりあえず、看護婦に対し、出血防止のため子宮収縮剤アトニンの点滴を追加し、血圧測定と輸血にそなえるための血管確保を行なうよう指示し、被告佐藤に連絡させる一方子宮双手圧迫による止血を試みながら、被告佐藤を待つた。

(4)  まもなく、被告佐藤も駆けつけて、恭美を内診した結果、同日午前一一時五〇分頃、子宮破裂と診断(この間、被告飯塚と診断につき少時間論ずる。)したが、破裂個所が、子宮右側部の九時の位置であり、多量の出血が予測され、急を要する状況と判断し、ただちに開腹手術を決意し、アトニン点滴の滴数を増加し、ガーゼタンポン挿入、フルクトンの補液(以上滴液、補液の総量は、佐藤病院出院時までに約七〇〇〜八〇〇ml)などの応急措置を行ない、血液型の確認をしたのち、輸血用血液を手配するため、同日午後零時一〇分頃、県血液センターの出張所である大宮赤十字病院に電話をし、B型血液五本(一〇〇〇ml)の配送を依頼(当初事務員がなし、ついで被告佐藤が折衝する。)したが、佐藤病院に右血液が到着するまでには、一時間位かかるとの返事であつた。

(5)  そこで、被告佐藤は、佐藤病院での手術を断念し、輸血用血液の準備もあり、人的、物的設備も整つている市民病院(佐藤病院との距離は1Kmないし1.5Km)へ恭美を転送して手術を受けさせることとし、同日午後零時一九分、右転送のため、川口市消防署に対し、救急車の出動を要請し、被告飯塚に対しては、市民病院に電話をし、恭美の受入れを依頼するよう指示し、被告飯塚は、これに応じた。

救急車は、同日午後零時二二分頃、佐藤病院に到着したが、恭美は、すでに苦悶し、ほぼ判然としたショック状態を呈し、出血量は一一七〇mlに達していた。

(6)  被告佐藤が前記のとおり依頼した輸血用血液は、同日午後零時四五分頃いつたん佐藤病院に配達されたが、同被告の指示により、市民病院に転送された。

(7)  恭美は、同日午後零時三一分、市民病院に到着し、ただちに手術室に運ばれたが、顔面蒼白、意識不明で、血圧は三〇ないし四〇に低下し、脈も微弱となり、ショック状態に陥つていた。そして、恭美に対し、酸素吸入、血管確保などがなされ、麻酔がかけられたのち、同日午後一時三〇分頃、市民病院の医師ら四名により、止血のため子宮腟部上部切断手術が実施されたが、術中にも相当量の出血がみられた。恭美は、右手術終了後も重篤なショック状態から回復せず、同日午後二時五〇分頃全身状態がやや好転したものの、同日午後八時四〇分、子宮右側壁破裂による急性心不全により死亡した。〈中略〉

三そこで、被告らにつき、原告ら主張のような過失があつたか否かにつき順次検討する。

(一)  まず、原告らは、被告泰仁会において、本件事故のような場合にそなえ、予め保存血を準備していなかつたとの義務違反があると主張するので、この点についてみるに、〈証拠〉によると、以下の事実が認められ〈る。〉

(1)  一般に、産科領域の出血の中で、妊産婦死亡をきたすものとして、最も恐れられ、かつ、頻繁にみられる異常出血として、後産期出血があげられるが、その原因には、子宮弛緩、子宮頸部又は体部等の裂傷、血液凝固障害などがあり、通常は、分娩第三(後産)期と分娩直後の出血量が五〇〇ml以上ある場合が異常とされている。後産期出血の発生頻度は、地域、病院により相当異なつており、五〇〇ml以上の出血をみた例が高いところでは一五ないし二〇パーセント、低いところでは、一、二パーセントと報告されている。

右のように、妊産婦に五〇〇ml以上の出血があつた場合には、担当の医師としては、一応切迫性の出血性ショックと考え、このショックに対応する措置として酸素吸入、強心剤、昇圧剤の投与、輸血等によりショックの緩解に努めると共に止血と失血量の補充を行うべきこととされる。そして、止血のためには、子宮収縮剤の投与、子宮双手圧迫等による子宮収縮を促し、それでも止まらない場合は、出血源の抜本的絶止策として開腹手術以外に方法はないが、右手術の実施については、輸血及び人手の確保が前提条件とされている。失血量の補充としては、輸血を行ない、輸血用血液が入手できないときは、低分子デキストランなどの輸液を注入し、気道確保、酸素吸入なども合わせて行なうべきこととされている。

(2)  子宮破裂とは、子宮体部の破裂をいい、主として、分娩時、稀には妊娠中に生起するもので、自然破裂と加害破裂とに分類されるが、その原因は、自然破裂の場合は、子宮壁の病的変化(手術後の癈痕など)をはじめ種々のものがあげられ、加害破裂の場合は、子宮破裂切迫症状がある場合における廻転術、鉗子手術等分娩に関する人為的操作により誘発されることが多いといわれている。また、子宮破裂の発生頻度については、報告が区々に分れているが、おおむね0.2ないし0.4パーセントで、経産婦が、その九〇パーセントを占め、加害破裂より自然破裂のほうが多いが、破裂の部位が、体部と下部とでは、侵襲の大きさ、母児の予後が異なり、体部破裂の場合は、症状が重篤になりやすく、子宮破裂一般について母児とも予後は不良とされ、母体死亡率は、病院においても完全破裂の場合は五〇パーセント、不完全破裂の場合は二〇パーセントにのぼるとする成書の記述もある。

そして子宮破裂は、分娩時突発的にショックを起こす代表的疾患であつて、開腹の時期を失すると死亡するものであるから、本症に直面した場合、前記(1)の異常出血におけるショック対策と同様にショックの緩解に努めるが、子宮破裂の疑があるもの(例えば、帝王切開、筋腫核出術、人工中絶等の子宮内操作により子宮壁損傷の癈痕性治癈を営んでいるもの、或は既往に炎症変化を有し、壁の脆弱化が懸念されるものでは、経腟分娩に当つては、子宮破裂に充分の注意を払う。)、又は診断不確実のままでも、重篤なショック症状を呈する場合は開腹を急ぐことが先決であるとされる。

(3)  恭美に発現した子宮破裂は、子宮体部の右側壁部位に生じた五、六cmにわたる裂傷であつて、破裂個所の近くに太い血管が通つていたことが推認され、重篤で予後不良とみられる症例に該当するものであつた。

(4)  佐藤病院は、本件事故当時、ベッド数三五、医師二、三名、看護婦約二〇名の産婦人科専門病院であつたこと、当時、埼玉県内において保存血を常備している医療機関は、市民病院(その産科ベット数は二四床)など人的、物的設備が相当整つた総合病院ぐらいであつて、これらの病院においては保存血の期限内消費は可能であるところから、常時供給、備蓄制を許されるがそれ以外の中小規模の医療機関においては、常備の申込をしても断わられることが多く、ためにおおむね必要な都度、県内の血液センターに連絡して供給を受けるようになつていること、佐藤病院についてみれば、月に一、二回の割合で保存血使用を生ずるにすぎず、その手配をしていた。

(二)  以上認定した事実に基づいて按ずるに、確かに産婦人科臨床における出血の多発性、就中、出産時における後産期出血の重大性、ことに子宮破裂が発現した場合の輸血の必要度、緊急性に鑑みれば、産婦人科医のもとに、常時輸血用血液が保有されていることが望ましいところであるが、他方、我国において保存血の採取が一般人の献血に依存しており、慢性的な保存血の供給不足が深刻な社会問題となつていることは公知の事実であること、いわゆる産婦人科臨床における出血の多発性をいうも、該領域においては、五〇〇ml程度までの出血は、正常分娩にあつても優にあること、先に認定したような後産期出血ないし子宮破裂の発生頻度、埼玉県下における保存血供給の手続及び実情などを考え合わせれば、本件において被告泰仁会に保存血の保有義務を課すことは、当時の臨床産科の一般的水準からして困難を強いるものといわざるをえない。(なお、原告らは本件におけるが如き緊急時の必要最少限度の輸血用血液保有の義務をいうが、右必要最少限度としても、一人分として五本、一〇〇〇ml程度を要し、かつ、A、B、AB、O等の各血液型を常備するものとすれば、相当量となるべく、また市民病院はほぼ常時保有体勢にあつたところ、原告らはその産科ベット数を佐藤病院のベット数と対比して立論をなすものの如くであるが、市民病院は産科のほか少くとも数種の専門診療科目を標榜し、これに副う人的、物的医療設備を具える大規模病院であるから、保有血常備の能否につき、にわかに右立論の如き対比をするのは適切ではない。)

したがつて、被告泰仁会に、保存血の保有義務は存しないからこの点についての原告の主張は採用することができない。

(三)  つぎに、被告佐藤、同飯塚が、輸血用血液取寄せの手配を遅延せしめた義務違反があるとの原告らの主張につき検討する。

原告らは右手配をなすべき時期として、まず胎盤娩出時の大量出血時を挙げ、ついで子宮壁破裂の確定診断時を指摘するが、前記二、(二)、(3)(4)に認定したように、午前一一時三九分頃の胎盤娩出時には五八〇ml程度の出血があつたものの、被告飯塚は子宮を触診し、腟部入口の裂傷を発見するや、その縫合をなし、その直後の出血に際し、内診の結果、子宮右側部の裂傷を発見し、直ちに応急的に子宮収縮剤の点滴を追加して止血に努め、血圧測定と血管確保方とを指示し、子宮双手圧迫による止血を試み、あわせて被告佐藤の来診を求めたものであり、まもなく駆けつけた被告佐藤による内診の結果、午前一一時五〇分頃子宮破裂と確定診断されたものであつて、この間一〇分余は右のとおり、触診、縫合、内診、止血のための点滴、測定、血管確保等にほぼ終始したことが明らかであり、これらの診察、処置の前に輸血手配を期待するのは、不能を強いるか、もしくは招来した結果から帰納するかなり抽象的な要請であつて、被告飯塚に対してきわめて苛酷であると解すべく、ついで被告飯塚、同佐藤による子宮破裂との診断確定時から約二〇分間経過した午後零時一〇分頃、被告佐藤が県血液センターに保存血の配送方を依頼したことは明らかであるが、被告佐藤らは、その間、血管確保、各種薬剤投与、輸液などのショック対策、子宮双手圧迫による止血などを試みたが、改善がみられなかつたため、開腹手術を決意し、前記のように保存血を手配したものであつて、もとより、前記三(一)(1)、(2)に認定したとおり、子宮破裂の診断がついた場合、担当医師としては即刻失血量の補充としてまず、輸血、酸素吸入などの措置を講ずるとともに、止血につとめなければならないが、もし、右の場合、輸血用血液が手元にない場合は、それが確保されるまで代替的に輸液を行なつてもよいとされているから、被告佐藤らが子宮破裂の診断後、直ちに、血液センター若しくはもよりの保存血を保有する病院などに輸血用血液を手配するなどしていれば、一層適切であつたといえるにしても、被告佐藤らとしては、前記ショック対策と止血等の応急手当及び血管確保等の開腹手術準備をなした処置は、概ね適切であり、これらの緊急処置に先行して前記子宮破裂なる確定診断時に輸血手配をすべきであつたとはいえないところである。(なお、この間被告佐藤らが血液型の確認をなしたことをも手配遷延の一事由と原告らは主張するものの如くであるが、輸血の実地に臨んで異型輸血を防避すべくした右確認を、恰もなすべからざるものとする原告らの見解にはにわかに替成できない。)

原告らは子宮破裂にあつては、その必要輸血は血液センター等にのみ頼ることなく、もよりの者らからの供給を受けるべく、これが確認等の措置をなすべき旨主張するところ、成程本件にあつては右確認等の措置がなされたとの証拠はないものの、他方少くとも一〇〇〇ml以上のB型新鮮輸血が、右もよりの者らによつて当時得られたとの確証もないので、所詮右主張は抽象的事実を前提とするものといわざるを得ない。

したがつて、この点の義務違反をいう原告らの主張は、採用できない。

(四)  次に、原告らは、被告佐藤、同飯塚が、子宮破裂の診断がついた時点で、すみやかに、佐藤病院において開腹手術を行なうべきであつたのに、市民病院へ転送して、手術時期を遅らせた義務違反があると主張するので、この点につき検討を加える。

前記二(七)(4)に認定したとおり、子宮破裂の診断がついたのは、事故当日の午前一一時五〇分頃であり、被告佐藤らによる応急措置にもかかわらず、恭美の症状に改善はみられず、市民病院に転送される少し前には、ショック状態に陥つており、同病院に到着した時点では、意識不明、脈搏微弱など極めて重篤な状態にあり、開腹手術は同日午後一時三〇分頃開始され、終了後、一応の改善はみたものの、恭美は死亡したことが明らかである。

ところで、前記三(一)(1)(2)に認定したとおり、子宮破裂の場合に開腹手術を行なうについては、輸血が用意されていることが前提条件であるが、前記診断時には佐藤病院において保存血の準備がなく、その後血液センターに手配するも一時間位は要するとの返事であつたことは、前示のとおりであつて、佐藤病院での手術は血液の到着をまたねば不可能であつたといわざるを得ない。

とすると、被告佐藤らが、即刻手術をしなかつたからといつて、これをとらえて注意義務違反があるということはできず、むしろ、転院自体は適切な処置であつたというべきであつてこの点に関する原告らの主張もまた採用のかぎりではない。

(五)  原告らは、被告佐藤、同飯塚が、子宮破裂と診断した時点で、早急に、市民病院へ転院させる措置をとるべきであつたのに、これを遅らせた義務違反があると主張するのでその当否につき判断する。

子宮破裂の場合に、出血量が多く、止血が困難なときは、子宮摘出若しくは子宮腟部上部切断術をすみやかに行なう必要があることは、さきに判示(前記三(一)(1))したとおりであるが、前掲甲第八号証によれば、右手術の開始時期は、輸血の有無、出血時間、人手の確保など全体的な状況から総合的に判断すべきことであること、出血が多くなりそうな場合は、とりあえずの処置として、子宮収縮剤の投与、血管確保と輸液、子宮体の挙上、酸素補給などを行なうべきこと、以上によつても止血しないときは開腹すべきことが認められるところ、本件においては、右のような応急措置がなされ、また、佐藤病院には、当時、右被告両名の医師のほか看護婦二〇名位がおり、手術の設備もあつたことが認められるから、被告佐藤が右診断後同病院での緊急開腹手術の準備なる医療行為を継続した判断に誤りはなかつたというべきである。この点の注意義務違反をいう原告らの主張はとりえない。〈以下、省略〉

(薦田茂正 小松一雄 小林敬子)

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